私が成さねばならない事

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 先日、道の事務局より慶応義塾大からのアンケートの依頼があり協力することにした。就労に関するアンケートと聞いていたが、、、。事務の方に読んでもらい答えた。久しぶりに嫌なことを思い出した。内容は視覚障害者になって、その障害とどう向き合ったのか、どこに相談したか、どういうシステムがあればいいと思うか、等々。傷口に塩を刷り込む、とは正しくこのことだ。

当時サラリーマンだった25年前、車を運転していると30分もすると涙が止らなくなり、雨の夜だと光が乱反射して見えにくい。これはきっと眼鏡が合わないからだと思い、メガネを買おうと思ったが変な物を買わされるのは嫌だったので眼科へ行った。診察を受けると「脳腫瘍の疑い」がある、と言われ脳神経外科へ。MRIを撮っても何も写らない。造影剤を投与しても同じ結果に。「半年後にまた」。その時点で右目の視力はゼロ。左目の視野が左側がなくなっていた。それから日赤へ行き、色々な検査をしても何も分からない。札幌北大へ行ったがやはり何もわからず退院。北見へ帰り、組合に挨拶がてら顔を出すと委員長が」東京に会社の病院があるの知っているか?そこの院長、眼科にかけては東京でも指折りの名医らしいぞ。いってみるか?」行ったが何も分からず、治らないことを悟り、かねてから鍼灸マッサージの道を勧められていた。ただ、、、。そうするには視覚障害者にならなければならない。(この俺が?障害者?嘘だろ?なんでオレがこんな目に合わなきゃならないんだ)どうしても受け入れられなかった。あの時は死ぬことしか考えられなかった。しかし死ぬ勇気もなかった。結局この道を目指すことにしたのだが、、、。函館の窓口になった方が、そんなに大きい会社なら視覚障害者1人位世話できるだろ。そっちで面倒みてもらえ」と取り合ってもらえない。いくら話しても理解してもらえない。上司に相談すると「お前が会社にしがみつきたいからそういうことをいうんだろ?」これには本当に参った。その後ある人の紹介で視覚障害者の先輩を紹介してもらってやっと函館へ行くことができた。非常に長くなってしまったがこんなことを思い出して気が付いた事がある。今の自分なら当時の自分に色々なアドバイスができる。イコールもし今視力を失いかけていたり、なくしてしまってこれから先どうしていいか全く分からない方がいたら?こんんな私で良かったらいくらでも相談してほしい。

 もしこのブログを読んでくれた方で自分の身の周りで該当する方がいたら教えてほしい。音声ソフトを駆使してパソコン操作ができインターネットもでき、読書もできる。拡大読書機で文字を読むことができる、カメラで撮影し文書を読む機械もある、服の色を読む機機械もある。病院や買い物に行きたいが1人では外出できない、という場合は同行援護という制度もある、視力があり視野が狭いなら盲導犬を飼えばいい。視力がなく通勤できない、という場合は「重度障害者就労支援制度」がある。

 私に電話一本くれたら手続きの方法、紹介します。宜しくお願い致します。